マグダラのマリア
ヨハネ福音書の20章は、イエスの復活を伝えるドラマティックなシーンである。
マグダラのマリアはイエスの墓に行き、墓から石が取りのけてあるのを見た。
当時の墓と言うと洞穴の様な横穴を掘ったもので、穴には円形の石盤を転がしてふたをするのが一般的でした。イエスの遺体はそこにはなく、マリアは慌てて弟子達のところに掛け戻ります。「ペトロ、ペトロ!」 「いったいどうした?マリア。」 マリアは息を荒立てて告げました。「主が墓から取り去られました。」 弟子達も墓に来て、イエスの体を覆っていた亜麻布などが丸めておいてあるのを見ます。およそ理解不可能なことで驚いたことでしょう。弟子達が失意のうちに家路についた後も、マグダラのマリアは墓のそばで泣き悲しんでいました。もぬけの殻の墓に、イエスを探し求めて視線をなんど送ったことか。そうして再び墓穴を見つめた時、今まで見たことのないものを目にしました。白い衣を着た天使が二人立っています。天使たちはマリアに言いました。「婦人よ、どうして泣くのです?」 マリアは畏れつつ答えました。「わたしの主が取り去られました。」 天使の返事を待つともなく、マリアは背後に人の気配を感じて振り向きました。悲しみにあふれる涙ではっきりとは見えません。その人もまたマリアに尋ねました。「あなたはどうして泣いているのですか?。あなたが探しているのは誰です?」 柔らかな口調にマリアは、園丁だと思いました。「管理人さん、あの方はどこですか? わたしが、あの方を引き取ります。どこにおいてあるのか教えて下さい!」
するとよく知っている声がしました。生前イエスが毎日親しく呼びかけてくれたあの声を。慈愛に満ちたその声は言いました。「マリア」
マリアの目には静かに涙があふれてきました。涙で見えなくても、そこにいるのが誰かマリアにははっきりと分かりました。今や、生前イエスが言っていたすべてのことがマリアには分かりました。マリアは喜びに満たされて大声で叫びました。「ラボニ(先生)!」
そして、イエスのことばに従って、マリアは弟子達のところに戻って証ししました。
「ペトロ、ヤコブ、ラザロ! わたしは主を見ました。主が、主が復活されました!」
イエス・キリストの復活の最初の目撃者となったマグダラのマリアが証言するところです。
ソウルメイトであるJunkoさんが、マグダラのマリアとの関係について
記事を書かれ始めているのでトラックバックします。
そう、昨年の秋、初めてお会いした時、私にはJunkoさんを包むようにしてマグダラのマリアの存在を見たのです。色が見えたのではなく、人の形が見えたのでもありません。でもJunkoさんと一体化しているその存在——あるいは存在感と言ってよいかもしれません——を感じた、いややはり、「見た」というほうが私の感覚にはフィットしています。おそらくあの意識が、高次元からの意識というものであるのだろうと思います。こういうことばもだんだん私も使えるようになってきました。不思議ですね。そう、あれは確かにマグダラのマリア以外の誰でもありませんでした。そしてその直感のような鋭い感覚は、その後私やJunkoさんが経験するいろいろなしるしによっても、ますます確かなものであることを実感していったのでした。
左から洗礼者ヨハネ、フランチェスコ、マグダラのマリア、ペトロ。それぞれのシンボルがあるのですね。私も、イエス、マグダラのマリア、フランチェスコとは昔からかなりの因縁?!(本来こういうことばですよね)がありましたのです。ふふふ。
マグダラのマリアはイエスの墓に行き、墓から石が取りのけてあるのを見た。
当時の墓と言うと洞穴の様な横穴を掘ったもので、穴には円形の石盤を転がしてふたをするのが一般的でした。イエスの遺体はそこにはなく、マリアは慌てて弟子達のところに掛け戻ります。「ペトロ、ペトロ!」 「いったいどうした?マリア。」 マリアは息を荒立てて告げました。「主が墓から取り去られました。」 弟子達も墓に来て、イエスの体を覆っていた亜麻布などが丸めておいてあるのを見ます。およそ理解不可能なことで驚いたことでしょう。弟子達が失意のうちに家路についた後も、マグダラのマリアは墓のそばで泣き悲しんでいました。もぬけの殻の墓に、イエスを探し求めて視線をなんど送ったことか。そうして再び墓穴を見つめた時、今まで見たことのないものを目にしました。白い衣を着た天使が二人立っています。天使たちはマリアに言いました。「婦人よ、どうして泣くのです?」 マリアは畏れつつ答えました。「わたしの主が取り去られました。」 天使の返事を待つともなく、マリアは背後に人の気配を感じて振り向きました。悲しみにあふれる涙ではっきりとは見えません。その人もまたマリアに尋ねました。「あなたはどうして泣いているのですか?。あなたが探しているのは誰です?」 柔らかな口調にマリアは、園丁だと思いました。「管理人さん、あの方はどこですか? わたしが、あの方を引き取ります。どこにおいてあるのか教えて下さい!」
するとよく知っている声がしました。生前イエスが毎日親しく呼びかけてくれたあの声を。慈愛に満ちたその声は言いました。「マリア」
マリアの目には静かに涙があふれてきました。涙で見えなくても、そこにいるのが誰かマリアにははっきりと分かりました。今や、生前イエスが言っていたすべてのことがマリアには分かりました。マリアは喜びに満たされて大声で叫びました。「ラボニ(先生)!」
そして、イエスのことばに従って、マリアは弟子達のところに戻って証ししました。
「ペトロ、ヤコブ、ラザロ! わたしは主を見ました。主が、主が復活されました!」
イエス・キリストの復活の最初の目撃者となったマグダラのマリアが証言するところです。
ソウルメイトであるJunkoさんが、マグダラのマリアとの関係について
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そう、昨年の秋、初めてお会いした時、私にはJunkoさんを包むようにしてマグダラのマリアの存在を見たのです。色が見えたのではなく、人の形が見えたのでもありません。でもJunkoさんと一体化しているその存在——あるいは存在感と言ってよいかもしれません——を感じた、いややはり、「見た」というほうが私の感覚にはフィットしています。おそらくあの意識が、高次元からの意識というものであるのだろうと思います。こういうことばもだんだん私も使えるようになってきました。不思議ですね。そう、あれは確かにマグダラのマリア以外の誰でもありませんでした。そしてその直感のような鋭い感覚は、その後私やJunkoさんが経験するいろいろなしるしによっても、ますます確かなものであることを実感していったのでした。
左から洗礼者ヨハネ、フランチェスコ、マグダラのマリア、ペトロ。それぞれのシンボルがあるのですね。私も、イエス、マグダラのマリア、フランチェスコとは昔からかなりの因縁?!(本来こういうことばですよね)がありましたのです。ふふふ。
by tsk1225
| 2006-06-16 00:44
| マグダラのマリア
仙台に移住して3年目。 日々の日記と写真たち。
by tsk1225
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