Passion of the Christ

昔覚えたギリシャ語の主の祈りが壊れたレコードの様に昨日の夜から頭の中で繰り返されていて、帰宅するなりどうしても観たくなってしまった。観るのは2.5回目。5月にFairy Treeさんでスタッフの方からお借りすることになり、一週間ほどしてからやっと観た。涙が止まりませんでした。その後しばらくしてまた観ようとしましたが、拷問シーンで断念。だから2.5回目。

全編通して印象的なのが、イエスの眼差しでした。
常に真実を見通し、悲哀に満ち、ゆるしのうちに人々を見つめるイエス。
ユダを、ペトロを、マリアを、マグダラを見つめるイエス。
素晴らしい演技だった。
というか、絶対にジム・カヴィーゼルにイエスが降りているに違いない。
ゲッセマニの園で祈るシーンに始まり、復活までを描く物語。
ローマ総督ピラトの裁判から十字架を背負ってゴルゴタの丘を目指すシーンまでの各所に配置されたキーからイエスの回想シーンへと飛ぶ構成も見事だった。
マグダラとの出会いや、ペトロの裏切りの予告、最後の晩餐、母マリアとの平和な生活。
それらのシーンに切り替わった途端に涙が溢れてきてしまう。イエスの思いやその登場人物達の心理までもが全部一つになって私の脳細胞の中で瞬時に展開されてしまう。その広がりがたった一瞬のイエスの視線に凝縮されている。

ゴルゴタの丘を目指すイエスは力つきて何度も倒れてしまう。
マリアはとうとう耐えかねて、イエスの元に走り寄り、言う。
「私がここにいるから」
イエスはこの時母親の顔に触れて何を思ったのだろうか。
イエスは3年前からすでにメシアとして目覚め、弟子達とともに神の道を公に説いていた。
イエスのメシア意識の自覚はその最後の日、傷だらけの体で十字架を背負わされ、
励ます母親を前にしても、もはや崩れることはなかった。
「すべては新しくなる」
そう言って人類のあがないのためにイエスは十字架を再び担いで歩き出す。
人類最初の写真とされるヴェロニカの布に写されたイエスの顔。
歩き始めるイエスが見つめ続けるヴェロニカへの眼差し。
イエスとともに十字架に処された政治犯の一人がイエスの隣で罪を告白し、許しを願う。
「主よ、あなたがみ国に入られる時には、どうか私を思い出して下さい」 
するとイエスが答えて言いました。「今日、あなたは私とともに神の楽園にいるだろう」。
このシーンでは、イエスが囚人に向かって口を開こうとする瞬間に
すでに激しく気持ちと涙が溢れてきてしまいます。
この世が始まる前から、
すべての魂はこの言葉を聞くために存在していると言ってもいいのです。
わたしにはそれほど美しく完全なことばです。マグダラもこの言葉を聞きました。
律法学者たちがマグダラを現行犯逮捕し、イエスの前に連れてきて、イエスがどう答えるか試そうとします。罪にとがめないとイエスが答えれば、姦淫すること勿れというモーセの十戒に抵触しますし、罪の許しは神の権限であるというユダヤの律法に触れる(罪を犯す)ことになり、イエスを訴えることが出来ます。
逆にイエスがマグダラを罪にとがめれば、神だけが裁くことの出来る律法を神ではない(と律法学者たちが考えている)イエスが行使したことになり、イエスは自らを神と同じと称したという口実にして、イエスを陥れることになります。
イエスはそのどちらでもない選択をします。
「あなたがたのうち、罪を犯したことのない者が、この女に石を投げて罰せよ」
するとイエスはしゃがみ込んで地面に手で文字を書き始めました。
そのうちに、律法学者達は一人また一人と立ち去り、やがて誰もいなくなりました。律法を研究し尽くし、大切にしていても、罪を犯したことのない人間などいるはずがないのです。
そこで、マグダラもイエスの美しく完全な言葉を聞きます。
「あの人達はどこへ行った? 誰もとがめる者はいなかったのか?」
「主よ、誰も」
「マグダラ、私もあなたを罪にとがめない。行って(神の命を)生きなさい。あなたの罪は許された。」 
カッコ内は原典から汲み取れる、日本語には現れていない意味です。

残酷なシーンには賛否両論あるでしょう。わたしは事実に近いシーンだと思います。
あそこまで何分も必要ななかったと思いますが、メル・ギブソンはそこまで忠実に作りたかったんでしょうね。いい、悪いの問題ではなくて彼のこだわりだったのかもしれません。一番目を向けて欲しいと願ったのは、やっぱりイエスがもたらそうとした福音と人類の原罪のあがないのためにイエスが十字架を抱きしめ、死者の復活の初穂となることを最後まで選択し続けたということでしょう。実際にある役者が言います。「なんでそんなに十字架を抱きしめるんだ?」 だってこの十字架を経なければ復活があり得ないんですから。

逆に私にとって不足だなあと思ったのは、『復活後』が描かれていないこと。
せっかくそこまでしたんやったら、弟子達に現れたところや、エマオの出来事、
サウロの改心や、昇天、聖霊降臨まで演ってほしかった。
「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」もおんなじ。
なんで? なんでなん? なんで十字架の死でエンディングなん?
欧米人にはそれで当然なん? 文学的表現、芸術的表現としては
わからなくもない手法でしょうけど、私は心情的に不足感ありありでした。
他の人はどうなんでしょう?
そんな映画作っても売れないことは間違いないでしょうけれど。
信仰という問題の難しさでもあるのかもしれません。
取り留めなく長くなりましたが、今回も涙なみだの『パッション』でした。
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by tsk1225 | 2006-07-30 23:23 | DIGITAL ASKA


  仙台に移住して3年目。    日々の日記と写真たち。


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