聖ステファノ殉教者
クリスマスの翌日という覚えやすいこの日は、聖ステファノの祝日です。わたしの霊名でもあります。今、このブログにある右のロゴイメージは、石打の刑にあう聖ステファノのステンドグラス。
英語のスティーブ(ン)、フランス語のエチェンヌ、スペイン語のエステバン、イタリア語のステファノ、ドイツ語のシュテファン、など同じ名前です。ラテン語ではステファヌス、元のギリシャ語ではやはりステファノスで、「冠(をかぶった者)」という意味。カトリック教会では、最初の殉教者としてたたえられています。
時代は、紀元1世紀初頭、キリストの復活と昇天の数年後、12人の弟子たちは宣教活動を行い、弟子の数が増えてきて生活上のこと、日々の食事の分配のことで弟子たちの間に問題が起こりました。12弟子は食事の世話をする7人の奉仕者(助祭のはじまり)を選びました。信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオです。
なかでもステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていました。ところが、一部の人々がステファノに議論を挑みました。いつの時代もねたみはあるのですね。しかし、彼が知恵と”霊”とによって語るので、歯が立たず、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせたのです。
ステファノは最高法院に引いて行かれ、偽証人が次のように訴えました。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」と。
最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のようでした。大祭司(裁判官ですね)に弁明の機会を与えられたステファノは、アブラハムから始めて、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモンらを導き、救いの預言を成就した神の証しを立てましたが、人々はこの説教を聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりをしました。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言いました。
人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫ぶと、ステファノはこうして眠りにつきました。
こうしたわけで、初代教会において最初の殉教者が生まれました。
最後の言葉はもちろんイエスの十字架上の言葉に重ね合わせたものであり、初代教会がステファノの殉教をいかに大事なことと捉えていたかが伺えます。
その後ステファノの殉教は、サウロの改心という大きな実と結び、やがて地中海諸国への度重なる宣教の要となる偉大な弟子パウロを生み出すことになります。キリスト教を迫害する任務に就いていたサウロは、ダマスコへの途上で天から光に照らされ、イエスの声を聞きます。
するとサウロは目が見えなくなっており、三日間の間見えず、飲まず食わずですごしました。そして幻の中で見た通り、アナニアという弟子によって目が開け元通りになります。そのとき、サウロの目から鱗のようなものが落ちたのです。迫害者サウロは改心し、宣教者パウロとして生まれ変わりました。「目から鱗」というのは、サウロの改心から来ているんですね。
パウロの宣教によって、教会は地中海沿岸にひろがり、ローマの属州であったエルサレムの一部から始まったキリスト教は紀元313年ローマ国教と認められるまでになります。その後はヨーロッパから世界へ広がりました。うまくまとめられませんでしたが、今日はそんなキリスト教の歴史のはじめに殉教したステファノの祝日でした。
あ、そうそうアッシジでは、聖ステファノ教会という小さな教会にも行ったのですが、
なんだか昔からよ〜くそこにいたような、属していたような気がするほど、
リンクする不思議な感じがして、大好きな教会でした。ふらんさんはきっとわかるよね。
古いフレスコ画の一部が残っている質素な古びれた教会でした。
大聖堂からも近くて、よく通いました。SUBASIOに泊まってたから。
ふらんちぇすかさんのサイト(とっても美しいんだよ!)に、聖ステファノ教会が紹介されていました。さっすが、やるぅ〜。あ、えーっと。下のURLをクリック、Assisi01のページ、10枚目の写真です。もう、もう、素敵すぎ! 繰り返しちゃいます。素敵すぎ!
http://www.ne.jp/asahi/galleria/fran/sfrancesco/sfran.html
ふらんさんのブログにも聖ステファノ教会の記事ありました。
英語のスティーブ(ン)、フランス語のエチェンヌ、スペイン語のエステバン、イタリア語のステファノ、ドイツ語のシュテファン、など同じ名前です。ラテン語ではステファヌス、元のギリシャ語ではやはりステファノスで、「冠(をかぶった者)」という意味。カトリック教会では、最初の殉教者としてたたえられています。
時代は、紀元1世紀初頭、キリストの復活と昇天の数年後、12人の弟子たちは宣教活動を行い、弟子の数が増えてきて生活上のこと、日々の食事の分配のことで弟子たちの間に問題が起こりました。12弟子は食事の世話をする7人の奉仕者(助祭のはじまり)を選びました。信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオです。
なかでもステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていました。ところが、一部の人々がステファノに議論を挑みました。いつの時代もねたみはあるのですね。しかし、彼が知恵と”霊”とによって語るので、歯が立たず、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせたのです。
ステファノは最高法院に引いて行かれ、偽証人が次のように訴えました。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」と。
最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のようでした。大祭司(裁判官ですね)に弁明の機会を与えられたステファノは、アブラハムから始めて、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモンらを導き、救いの預言を成就した神の証しを立てましたが、人々はこの説教を聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりをしました。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言いました。
人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫ぶと、ステファノはこうして眠りにつきました。
こうしたわけで、初代教会において最初の殉教者が生まれました。
最後の言葉はもちろんイエスの十字架上の言葉に重ね合わせたものであり、初代教会がステファノの殉教をいかに大事なことと捉えていたかが伺えます。
その後ステファノの殉教は、サウロの改心という大きな実と結び、やがて地中海諸国への度重なる宣教の要となる偉大な弟子パウロを生み出すことになります。キリスト教を迫害する任務に就いていたサウロは、ダマスコへの途上で天から光に照らされ、イエスの声を聞きます。
するとサウロは目が見えなくなっており、三日間の間見えず、飲まず食わずですごしました。そして幻の中で見た通り、アナニアという弟子によって目が開け元通りになります。そのとき、サウロの目から鱗のようなものが落ちたのです。迫害者サウロは改心し、宣教者パウロとして生まれ変わりました。「目から鱗」というのは、サウロの改心から来ているんですね。
パウロの宣教によって、教会は地中海沿岸にひろがり、ローマの属州であったエルサレムの一部から始まったキリスト教は紀元313年ローマ国教と認められるまでになります。その後はヨーロッパから世界へ広がりました。うまくまとめられませんでしたが、今日はそんなキリスト教の歴史のはじめに殉教したステファノの祝日でした。
あ、そうそうアッシジでは、聖ステファノ教会という小さな教会にも行ったのですが、
なんだか昔からよ〜くそこにいたような、属していたような気がするほど、
リンクする不思議な感じがして、大好きな教会でした。ふらんさんはきっとわかるよね。
古いフレスコ画の一部が残っている質素な古びれた教会でした。
大聖堂からも近くて、よく通いました。SUBASIOに泊まってたから。
ふらんちぇすかさんのサイト(とっても美しいんだよ!)に、聖ステファノ教会が紹介されていました。さっすが、やるぅ〜。あ、えーっと。下のURLをクリック、Assisi01のページ、10枚目の写真です。もう、もう、素敵すぎ! 繰り返しちゃいます。素敵すぎ!
http://www.ne.jp/asahi/galleria/fran/sfrancesco/sfran.html
ふらんさんのブログにも聖ステファノ教会の記事ありました。
by tsk1225
| 2005-12-26 23:28
| DIGITAL ASKA
仙台に移住して3年目。 日々の日記と写真たち。
by tsk1225
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